秘密はどこからか絶対に漏れる
その持ち主がうっかりであればあるほど
そして
ハイエナは決してその隙を見逃さない
不運が重なった。
まず、瀬那が携帯電話を落としてしまった。おっちょこちょいな瀬那がモノを落すのはままある事だったが、ここで落としたのが携帯電話だったというのが最初の不運だった。
そして次の不運は、その場に陸が居合わせたという事。
瀬那と一緒に手軽なファミレスで案内された席につこうとして、落下した瀬那の携帯を拾った陸は近くに落とした拍子に外れてしまった電池パックの蓋を見つけた。表面を見せているそれに手を伸ばす。
慌てて伸ばされた瀬那の手より一瞬速く蓋を拾った陸は、何ともなしにその裏を見た。
つまり、元を手繰れば全ては瀬那のおっちょこちょいから始まったという事。
キッドの携帯に陸から着信があったのは、その2分後。
蓋裏のキッドと瀬那のツーショットのプリクラを見つけた陸の地を這う声に呼び出され、キッドは覚悟を決めて呼び出しに応じたのだった。
「で、な〜んでおたくらもいるのかな?」
キッドの問いに、蛭魔は不敵な笑みを見せた。今日はいつもにも増して妖気が強い。
「糞チビはうちのモンだからな。きっちり話をつけてやる」
「俺はこいつのストッパーみたいなモンだから、気にすんな」
気にするなと言われても無理だ。蛭魔の隣にいる武蔵はキッドに負けず劣らずの貫禄ある顔で、どことなく威圧感をキッドに対して発している。それで怯むようなキッドではないが、状況がますます不利になった事だけは確かだ。
「どうぞ、キッドさんも座ってください」
丁寧な言葉で陸が促した。
キッドには分かっていた。陸がこの泥門の2人を呼んだのだと。味方は多ければ多いほど、そして強力であれば強力であるほど良い。
全くこの後輩の頭の回転の速さには参ってしまう。
「すみません、キッドさん……」
「いいよ。大丈夫大丈夫」
申し訳なさと不安と心配と恐怖をない交ぜにした表情をする瀬那に笑いかけて、その隣に腰を下ろす。
あまりの場の空気の重さと痛さに腰が引けているウェイトレスに飲み物だけを頼み、尋問が開幕した。
「事情は瀬那から聞きました(吐き出させました)」
裁判長陸の冷ややかな声の裏に、キッドにしか聞こえない言葉が重奏する。笑顔が冷たい。
「よくも俺の目から逃れてたもんだ。そこだけは誉めてやる」
「そりゃあ、どうも」
「まあ、どうせてめぇの入れ知恵だろうけどな」
尋問サイドは本日氷点下を記録、それに伴い瀬那の額や背中に大量の冷や汗が滴った。恐らくこのままいけば脱水症状になるか、溶けて消えてしまうだろう。
キッドは極度に緊張する瀬那の手をテーブルの下から優しく握り締めた。
俺がいるからね、と。
「やれやれ……で、さっさと本題に行こうか?ここに集まった人たち、まどろっこしいの嫌いでしょ?」
「別れろ」
命令だった。言いなれた口調で命令する蛭魔に、普段ならば常識人代表のツッコミを入れる武蔵は黙ったままだ。厳つい面持ちで正面のキッドと瀬那を見据えている。沈黙は賛同、というのが常套な受け取り方だろう。
「キッドさん、瀬那のことを考えてやってください」
こんな非常事態が起きない限り、陸と蛭魔と武蔵が横に並ぶということはないと思われる。
世にも貴重なトリオは至って真面目な表情で、尋常ではない殺気を漂わせていた。特に金髪と銀髪の睨みが鋭い。
どっしりと構えた武蔵は厳格な父親の雰囲気だ。
「瀬那はこれからが有望されるアメフトの選手で、男同士なんてスキャンダルが出たらその将来が潰されかねないんですよ?だいたいどこからどうしてキッドさんなんですか?僕ならいざ知らず、キッドさんですよ?全然繋がりがないじゃないですか。納得いきません」
蛭魔の単刀直入の物言いもキツイが、陸の理屈っぽい物言いも辛い。
しかも途中から理論の方向が変ではなかったか?
しかし陸は常の真面目な視線を変えずキッドを捉えている。きっと気にしてはいけないのだろう。
「でもこういうことって普通、本人同士の気持ちが1番大切なんじゃないのかねえ」
「キッドさんと瀬那の場合は普通じゃないでしょう?」
普通じゃないと言われれば反論は出来ない。
確かにキッドと瀬那の恋愛事情は世間一般的には普通とは呼べない代物であるし、他人に知られれば白い目で見られるだろう。大衆に非難を受けるこの恋愛は、だが感情自体は責められるべきものではない。
「別れろって言われても、はいそうですかとはいかないでしょ」
肩を竦めてキッドが言うと、不意に正面に座る蛭魔の銃のスライドが下りた。
「勘違いすんなよ。これは提案じゃねえ、命令だ。別れろ」
蛭魔が武力行使にでかかった。見れば、店内は殺伐とした空気に耐え切れなくなった客がレジに殺到し、蛭魔の銃口がキッドに向けられる頃にはすっかり人気がなくなってしまった。カウンターの向こう側で涙目になりつつ、こちらの様子を窺っているのは店長だろうか。
圧倒的に不利。
陸だけならまだしも、蛭魔に武蔵。キッドは窮地に立たされながらも、不思議と焦りを感じることはなかった。
握った小さな手が勇気をくれるから。
「そっちも勘違いしてもらっちゃ困る。俺も瀬那君もおたくに命令される権利も義理もねえ」
「キッドさん将来のこと考えた方がいいですよ」
恐らくこの澄ました顔で忠告をする後輩は、たとえ蛭魔の指がトリガーを引こうと、その弾丸がキッドの身体を貫通しようと、絶対に110番通報をしないだろう。こう見えてこと瀬那に関することになるとイイ根性になるのだ。
武蔵は無言でブラックコーヒーを啜りつつ、厳格な態度を崩していない。
さてどうやって切り抜けるか。
別にキッドは、男同士という関係を世間に知られてもいいと思っている。とやかく言われるのには慣れた。
しかし瀬那の場合そうはいかない。彼は優しいが故に弱く、そうして生きてきたために人からの評価に過敏だ。
同性のキッドの想いに応えてくれたことこそ瀬那の勇気であった。
瀬那のために、今はまだ事を穏便に進めておきたい。
三傑と睨み合いを続けながら思案するキッドの横で、尋問が始まってからずっと不安な表情をしていた瀬那は唐突に俯いていた顔を上げた。
「あのっ…!」
「あれ!?瀬那じゃーん!!チョーラッキー!ほら筧ー!瀬那瀬那瀬那瀬那!!」
「瀬那君の名前を連呼すんじゃねえよ。減るだろ」
上げて発言しようとした瞬間、横から割り込んできた水町の大声に瀬那の台詞は吹き飛ばされてしまった。
このファミレスは泥門範囲にあり、つまりそれは位置が比較的近い巨深範囲にも重なる。
店内の空気が読めずにずかずかと入店してきた筧と水町は迷うことなく瀬那がいるテーブルまでやってきた。
水町などちゃっかりと席につく前に「アイスティーね!」と注文を済ませ、キッドとは反対側の瀬那の隣に筧共々腰を下ろした。がちゃりと音を立てて蛭魔の銃口が2人に向けられる。
「取り込み中だ。二度と現れんな」
「何だと?」
「まあ、いいんじゃないか。この2人がいても」
一瞬視線で火花を散らせた蛭魔と筧の間に陸が口を挟む。彼の目配せに聡い蛭魔はすぐに気がつき、不満を表情に残したまま銃を引いた。つまり、このまま5対1に持ち込め、と。
「で…この面子で何してたんだ?」
筧の問いに、ここぞとばかりに陸が答えた。
「瀬那がキッドさんと付き合ってることが判明したから、今後のことを話し合ってたんだ」
「正気か瀬那君!?」
「か、筧君まで……」
「え〜!じゃあさじゃあさ、俺愛人でもイイから仲間に入れてよぉ」
「てめぇ帰れ糞ノッポ」
鋭い目つきをさらに吊り上げて瀬那に迫る筧の手が勢いに任せて細い肩に伸びる。
が、その手は虚しくも空を掴んだ。
「危ねぇ危ねぇ」
見ればキッドの手が筧の手よりも速く瀬那を掴み、よっこいせと自分の逆側の隣にその軽い体を移動させていた。
隣になった筧を少々見上げる形で抜け目の無い笑顔を送る。
「どうも。こんな近くで話すのは初めてかな、巨深の筧駿。それと水町健悟も、よろしく」
「……俺は、認めねえ」
「よろしく!」
「よろしくじゃねぇだろ!」
テーブルに拳を落としてがしゃんと激しい音を立てた筧は目つきをさらに3倍つりあげた。
その形相に怯えた瀬那は、ふと硝子窓の向こう側にいる非常に大きな男たちを見つけた。
大西と大平だ。
常識を超える大きさの体格を持つ2人は、しかし常識は持っているようで、異様な空気が張り詰められているこの店内に入れなかったのだろう。先生として慕っている筧の応援はしたいが、この修羅場に足を踏み入れるだけの勇気も実力もない。その代わりか、大西と大平は必死の形相で窓の外から筧にエールを送っていた。筧の耳にはこれっぽっちも入っていないけれど。
瀬那はすみません、と心中で謝った。ついでに警察に通報しようか勇敢にも迷っている店長にも。
「本題に戻るぞ」
話がイイ加減それてきた頃、徐に武蔵の重い口が開いた。
「俺は無理に別れろとは言わねぇ」
カップをソーサーに戻した武蔵の台詞に、突然の裏切りをされた蛭魔と陸の表情が変わる。
「だけどな、瀬那。俺も、まあ多分コイツらも、お前のことを想って心配してるって事だけは知っとけ」
「武蔵さん……」
「……」
真摯な武蔵の言葉に瀬那だけでなく、責められる立場にいたキッドすら黙ってしまう。
こんなにも大勢の人から大切に想われている瀬那を手に入れられたことは、やはり、人生で最大の幸運なのだと思う。
「なーに甘ぇこと言ってやがる糞ジジイ」
しかしいくら当人たちが感動してようと、そこに傍若無人に立ち入るのがここに集まった面子なわけだ。
「ボケたこと言ってくれてんじゃねぇぞ。そんな台詞吐かせるためにてめぇをわざわざ連れてきたんじゃねえ」
「俺だって、もし瀬那が泣くようなことがあればコイツを殴ってでも別れさせてやる」
「そんな先はイイんだよ。問題にしてるのは今だ」
「だから瀬那、よく考えろよ」
小競り合いを始めた蛭魔と武蔵を差し置いて、陸がずばりと瀬那に向けて人差し指を立てた。
「俺は瀬那の意思を尊重したいけど、それとこれじゃあ話が違う」
「どう違うの?瀬那君の意思を尊重すればいいじゃない」
「キッドさんに言ってるわけじゃありません」
「そりゃあ失敬」
「思えば雑誌のインタビューがあった時に気がつければよかった。あそこでキッドさんが瀬那の名前を出すのは可笑しいと思ったんだ」
「ああ、でもアレはプライベートを除いても気になってたからさ」
「キッドさんの普段の調子にすっかり騙された」
「騙すだなんて、人聞きが悪いよ。黙ってただけ」
「同じです」
後輩のお面を被った陸は副音声機能を廃止したようで、直球勝負を仕掛けてきた。
キッドとしても、この勝負はあっさり引くわけにはいかない。
荒涼たる言い争いの傍らで、今度は機を窺っていた筧がキッドの背中を乗り越えて瀬那に真剣な眼差しを向けた。
「瀬那君、考え直すんだ。今ならまだ取り返しはつく」
「そ、そんな筧君…あの、僕は」
「何だってこんな老け顔のヤロー選んだの瀬那?俺じゃダメなん?」
「その口をガムテープで何重にも塞いでやろうか、水町」
誰にでも秘密はある。
そして秘密は漏れる。
本人のうっかりから漏洩したならば、それは本人が片をつけなくてはならない。
「だから糞チビの信頼があるてめぇがこいつを説得させる手筈で」
「俺は頷いちゃいねぇ」
「とりあえず瀬那から手を引いてください」
「それは無理だねぇ」
「もしかして瀬那君、コイツに何か弱味を握られてんのか?だから付き合うなんて」
「絶対年誤魔化してるってコイツ〜。よく考えろって瀬那!」
がやがや わいわい
たくさんの言葉が重なり合って大きな雑音となって鼓膜に響く。
瀬那は『それ自体』が嫌ではない。ただ、その内容が大事な人を貶めているように聞こえてしまって。
「イイ加減にしてください!!」
思わず叫んでしまった瀬那の瞳から涙が飛沫となってテーブルに散る。
怯えと、滅多に感じることのない怒りを感じて、瀬那は感情に任せるがままに唇を震わせた。
「き、キッドさんばかり責めて…僕だって、自分の判断で決断したんです。ど、して僕も責めないんですか…!?」
それは瀬那を取り戻すためにキッドを責めているから。
皆の意見が無言の下で一致する中、それを口に出来る者はいない。
むしろ瀬那の泣き顔を見て「やべぇ襲いてぇ」という思考に働く脳の持ち主ばかりである。
しかし、その思考も瀬那の一言の前にあっけなく冷凍されることとなった。
「キッドさんをわ、悪く言う人は、ぼっ、僕が絶対許しません!!」
その瞬間石化を免れたのは、瀬那に庇われたキッドのみであった。
「どうしよう……」
がっくりと項垂れた瀬那は先ほどの自分の言動を振り返って後悔に陥っていた。
興奮のままキッドに手を引かれてファミレスという名の裁判所を出たあと、ようやく落ち着きを取り戻したのだ。
「……もう皆に会わせる顔がない」
先ほどとは違う意味で涙目になった瀬那の手を握るキッドのそれに、少しだけ力がこもる。
「なに、大丈夫だって。そんなヤワな人たちじゃないでしょ?それにこれくらいのお灸は、ねえ」
「でも……」
ぐ、とキッドの親指の腹が瀬那の目元の涙を拭き取った。逃げ込んだ街が夕陽に照らされる。
「泣かないで。俺が君を守るから。何からでも」
飄々とした表情に、真剣な眼差し。
瀬那の目線に合わせるように屈んだキッドが笑う。
「それに嬉しかったしね。ありがとう、庇ってくれて」
そう言って、こんな時でもキッドは瀬那を不安から守ってくれている。
想い想われる喜びを実感して、微笑んでしまう。
「さぁて、2人で今後の対抗策でも考えようかねぇ」
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